おとのば

ヨルシカ配信ライブ「前世」ライブレポ

電車の音が遠くでかすかに聞こえる中、水中の映像が映し出される。光に照らされる海で、泳いでいる魚の動きは後ろ向き。逆再生のようだ。
19時近くなると、様々な時計が映し出されるが、これもまた逆方向に動いてる。



「前世」




これが、今回の配信ライブのタイトルだ。今ではなく、過去にタイムスリップするような、そんなイメージのライブなのかもしれない。


そして19時になると、ヨルシカのロゴが画面に表示される。それが合図だった。
先ほどと同じ海の映像が映し出されているが、今度は普通に再生され、魚も前に向かって泳いでいた。ライブの始まりを予感する。

やがて始まるストリングスの演奏と共に会場が映し出され、若干の緊張感とともにsuisの歌声を待つ。


その場所は、まるで海の底にいるような気分にさせられる水族館であった。

ライブレポの前に。

ヨルシカを聴き始めてから、私はこのバンドが描く楽曲の世界について自分なりの考察をまとめていた。今までにリリースされたアルバム、そのすべてが何等かの形で繋がっている。エイミーとエルマを中心に。
そう考えていたところで発表された「前世」というタイトルの配信ライブだったのだが、果たしてこれまでの楽曲をどのような物語で表現していくのだろうかと、とても楽しみにしていた。

今回はそれを見ながら私が考えたことなどをまとめていきたいと思います。

この記事の前に、「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」の考察をまとめた記事がありますので、そちらを読んでいただけると、このライブの考察がすんなりと入ってくるかもしれないのでお勧めです。

usg-0v0.hatenablog.com

ライブレポ

suisが歌い出したのは「藍二乗」だった。
ゆっくりと、丁寧に。
薄暗い中での歌唱だから顔こそは分からないが、suisはウェーブが軽くかかった髪の長い女性だ。それは私の中に描いたエルマとは少し違う女性。それでも、エルマが彼女の中に存在しているかの雰囲気があった。
サポートメンバーと一緒にエレキギターを演奏しているのがn-bunaだろう。
「藍二乗」といえば、エイミーが一番最初にかいた曲だ。まだスウェーデンに旅立つ前に。どうやら、このライブは、エイミーの始まりから追っていくようだ。

その後は、ピアノの音が響き渡る。
「だから僕は音楽を辞めた」だ。suisも歌い出す。この曲が始まって、真ん中に座るsuisの全身が確認出来るようになる。ワンピースを着ていた。ただし、この時点ではワンピースの色が分からない。そして靴は履いていない。
やや下を見るように、一つ一つの歌詞をありったけの感情を込めて歌う。その歌声は力強くもあるが、かすかに震え、儚さが漂う。
エイミーが、死の6日前に、ありったけの叫びを込めたようなこの曲。これが2曲目で登場するのを考えると、エイミーが中心となる物語とは考えにくいのかもしれない。


少しの静寂のあとにドラムの音から始まったのが「雨とカプチーノ」だ。アコースティックアレンジだと、原曲以上にピアノの和音が重たく響く。
2番のサビで、水族館の魚が映し出されるが、光に照らされてたそれが、なんとなく歌詞の情景と重なる部分があった。

夏泳いだ花の白さ 宵の雨

という部分だ。光に照らされた海が白く染まっていた。
「雨とカプチーノ」では、MVでエイミーとエルマが初めて会った日と、最後に会った日が描かれている。この曲を歌うsuisの中にはエルマがいる。

エルマの楽曲から戻り「パレード」が始まる。ここで今までなかった赤みがかった光に照らされる。
”君の指先の中にはたぶん神様が住んでいる”という歌詞ではsuisの手が、”身体の奥 喉の真下”という歌詞でsuisの心臓あたりが映し出される。

君の指先の中にはたぶん神様が住んでいる

この言葉は、エイミーがエルマに対して言った言葉だ。ここでもまた、suisの中にいるエルマを垣間見た気がした。
この曲では、サポートメンバーも含め、いろんな人の手元がよく映る。それぞれの中にいる神様を表現しているのだろうか。

ここで、空気を変えるかのようにピアノをメインとするセッションが繰り広げられる。軽快な音楽がそこにはある。それはやがて、「言って。」のイントロを彷彿させるものとなる。
そして、suisの”言って”という歌い出しをきっかけにBPMを上げ、「言って。」のイントロになる。
「パレード」までの、儚さを大きく前に出してきた歌い方とはガラッと雰囲気を変えて、可愛いという言葉が似合う声で軽快に歌い上げる。
だが、最後の”もっと”と繰り返すところは、エルマがエイミーを求めるかのような必死さが伺えた。やはりsuisの表現力はすごい。
「夏草が邪魔をする」というアルバムは、エイミーとエルマがともに過ごしていた頃に、二人で作ったアルバムという考察を過去に立てているので、この曲を歌うsuisの姿から、エルマとエイミーが共に過ごした過去を思い出しているように思えてならない。

曲が終わり、suisが歩き出す。
移動した先で「ただ君に晴れ」を歌い出す。
ここで初めて気付くのだが、suisが着ていたワンピースは青色だった。最初こそは、髪の長さくらいしか確認できなかった彼女の姿が、時間の経過とともに見える範囲が広がっていく。それがなんとも幻想的だった。
モニターにはギターを弾くn-bunaを最初に、その後もサポートメンバーの手元が映し出されていた。
アコースティックアレンジでBPMを下げているが、n-bunaのギターソロは原曲に限りなく近いものとなっていた。その間奏明け辺りから、suisは座り、モニターに向かって歌っていた。それは演奏しているメンバーをしっかりと見ているようだった。

曲が終わるとモニターには雨が降り出す。
その雨をバックに始まるのは「ヒッチコック」だ。
歌い出しが雨だからだ。
この歌詞は内面にある負の感情がsuisの表現力豊かな歌い方によって痛く刺さってくる。とにかく切ない。
「負け犬にアンコールはいらない」というアルバムは、エイミーが旅に出ている先で、エルマには送らない程でかいていた曲を集めたものという考察を立てている。それが最終的にはエルマの元に届いてしまうのだけどね。


そして、「青年期、空き巣」が流れ出したのを合図にsuisはまた移動する。元いた場所に戻ったようだ。
画面には開演前に映し出されていた時計がまた映る。時間が大きく変わる合図なのだろう。

その後は盗作から「春ひさぎ」だ。
それまでは、エルマとエイミー、それぞれが旅している時期や共に過ごしていた頃の思い出の曲で構成されたセットリストだったが、ここで時代が前に大きく進む。音楽泥棒が主人公となる物語は、エルマがスウェーデンから帰国した2~3年後くらいだろうか。
曲が始まると、背景にいる魚が赤く光る。照明によって色っぽい雰囲気を作ってきている。こういう色っぽい雰囲気にはピアノの音がよく似合う。

続いては、カウントのあとで「思想犯」が始まる。この曲では、suisの低い声が冷たく響く。ピアノの音も切なさを助長させる。そして、サビではn-bunaとのハモリが綺麗に響くのがイメージとして強いのだが、アコースティックアレンジでやるこの日はsuisのみが歌う。
楽曲の中に随所である大事なギターのフレーズはn-bunaが弾きあげる。

曲を1度締めたあと、n-bunaのギターの音だけが響く。そしてギターの音が消えたあとで「花人局」を静寂の中で歌い出す。
音楽泥棒が失った奥さんを歌った歌だから、女性をイメージするようなピンクの照明に場が照らされる。


音楽泥棒の奥さんというのがエルマだ。


これを歌うsuisを見て、このライブタイトル「前世」の意味を自分なりに考えることとなった。
suisは、エルマの生まれ変わりという見方ができる。(あくまでイメージとして)
suisが靴を履いていないことにより、彼女がこの世にいるのではない存在のように見えた。この世に生きている人が、自分の前世を覚えていることは滅多にないから。だから、エルマの死後、生まれ変わる直前の女性という幻の存在。

そんな存在の女性が、エルマが生きてきた軌跡を海底で歌う。

そんなコンセプトがあるように思えた。
自分を思ってくれたエイミーや音楽泥棒が自分のために作った歌を歌う。「花人局」は、エルマの死後に作られた曲だからこそ、歌われることに感慨深く思う。


この後、アコースティックギターがメインの音に乗せて歌い出されたのは「春泥棒」だ。サビ部分はCMでもお馴染みだから聞き覚えあるが、それ以外の部分は初披露となる。
春を彷彿させるピンクが映える映像となる。
「創作」という作品も、これまでのヨルシカの作品と何らかの形で繋がりがありそうだ。そして、これまでのヨルシカと共通しているのは、何かを失くしているような曲であるということだと思う。

この曲のあと、また「エルマ」の曲に戻る。
「海底、月明かり」だ。美しい星と月明かりが映し出される。
海底からエイミーやエルマが見た夜空がこんな感じだったのだろうか。

suisは歩き出す。
ストリングスの音の後、歌い出したのは「ノーチラス」だ。

海底で月明かりに照らされてエルマが歌っている

そんな気にさせられる。

“靴を捨てたんだっけ”という歌詞が、suisの靴を履かない理由に繋がるし、海の底でエルマ(の生まれ変わり)が心の底から歌うライブ、という意味で水族館が場所として選ばれたのだろう。そんなことをふと考えた。

ピアノのオリジナルのイントロの後に歌われたのが「エルマ」だった。
suisはこの曲が始まる前に、椅子に座るが、エルマの歌詞に“なんならまた椅子にでも座ろう”というものがあるからだろう。suisの動きや会場の雰囲気が、披露される曲の歌詞にちょこちょこリンクするのが見ていて心地よい。

続いてはギターメインのオリジナルのイントロが流れる。後にsuisの歌声が響き渡る。そして始まるのはヨルシカの中では数少ない冬の歌「冬眠」だ。

「冬眠」の最後の“君とだけ生きたいよ”という歌詞がエイミーの本音だったんだろうなと思うと悲しくなる。

そのアウトロにのせてスタッフロールが流れ、終幕となる。


あとがき

エルマの生きた証を表現したかのようなライブだった。エルマが亡くなり、生まれ変わる直前に、ちゃんとその人生を振り返っておこうというようなものを感じた。

この後で、「春泥棒」のMVが公開されたが、舞台が立川の昭和記念公園だった。
昭和記念公園というと、「盗作」にて音楽泥棒とエルマが桜を見た場所なのだが、やはり新しい物語にもエルマは存在していそうだと感じた。

前世の後も、ヨルシカの物語は続く。
どこまで物語が広がっていくのか、この先も追いかけていたい。

※ヨルシカ会員サイト「後書き」内のコラムも読みましたが、限定的な公開範囲のものですので、そこに書かれていたことには触れないように当記事は書きました。


2021.01.09 @八景島シーパラダイス
「前世」
1.藍二乗
2.だから僕は音楽を辞めた
3.雨とカプチーノ
4.パレード
5.言って。
6.ただ君に晴れ
7.ヒッチコック
8.青年期、空き巣
9.春ひさぎ
10.思想犯
11.花人局
12.春泥棒
13.海底、月明かり
14.ノーチラス
15.エルマ
16.冬眠