おとのば

「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」の考察

最近私は、ヨルシカの音楽を見つけて聴いている。前々から、なんなら今回取り上げるアルバムが発売されたときには既に知っていた、聴いていたという方にとっては遅すぎる出会いかもしれない。

それでも、出会うタイミングって、人それぞれであり、そのタイミングにも意味があるのかなと私は思う。
ということで、何か意味があって2020年にヨルシカに出会った私が、このアルバムを聴いて考えたことをまとめたいとどうしても思ったので記事にしよう。

アルバムについて

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今回取り上げるアルバムは、「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」の2作品である。いずれもコンポーザーのn-bunaが描く物語を軸に楽曲を書き下ろしたコンセプトアルバムとなっていて、この二作品は繋がっているものとなる。

だから僕は音楽を辞めた

音楽を辞めることになった1人の青年が、“エルマ”という女性に宛てた手紙や写真、楽曲をまとめたアルバム。初回限定盤には、青年が書いた手紙、写真が納められたBOXが付いていて、実際にその手紙を手に取って音楽の世界を味わえるものとなる。


だから僕は音楽を辞めた (Album Trailer)

エルマ

前作「だから僕は音楽を辞めた」の続編となる。前作の主人公の青年から送られてきた手紙に影響を受けたエルマが手掛けた楽曲をまとめたアルバム。初回限定盤は、エルマがその手紙を頼りに“エイミー”という青年が訪れた街を辿りながら認めた日記を実際に読みながら音楽を楽しめる。


ヨルシカ - エルマ (Album Trailer)

時系列

この物語は、4年に渡る上に、アルバムの楽曲順が時系列に沿っていないという複雑な作りをしている。
そのため、まずは時系列を整理してみよう。

以下、初回限定盤のネタバレがたくさん出てきますのでご注意ください。
ここでは、エルマが旅をしながら日記をつけるのを2019年と仮定して考える。

2016年

エイミーとエルマがカフェテラスで出会う。

2017年

8月8日辺り エイミーがバイトを辞める。
月日不明、夏 エイミーがエルマの前から姿を消す。

2018年

3月14日 エイミーが初めて手紙を書く。
3月21日 藍二乗
4月10日 4/10(手紙上 無題)スウェーデンに旅立つ。
4月24日 詩書きとコーヒー
5月6日 5/6(手紙上 無題)
5月15日 五月は花緑青の窓辺から
5月31日 六月は雨上がりの街を書く
6月15日 踊ろうぜ
7月1日 夜紛い
7月12日 パレード
7月13日 7/13(手紙上 無題)
8月7日 八月、某、月明かり
8月25日 だから僕は音楽を辞めた
8月31日 エルマ、8/31(手紙上 無題)
8月31日 エイミーが命を絶つ。

2019年

3月14日 車窓(エルマがスウェーデンに旅立つ。)
3月22日 夕凪、某、花惑い
5月1日 湖の街
5月28日 神様のダンス
6月30日 雨晴るる
7月8日 歩く
7月22日 森の教会
7月28日 声
9月3日 雨とカプチーノ
9月5日 憂一乗
9月6日 心に穴が空いた
9月12日 海底 月明かり
9月12日 ノーチラス
9月16日 エイミー
9月24日 エルマ、最後の日記を書き帰路に着く。

考察

出会い

この物語の始まりはエルマの日記から判断するに3年前の夏が始まる前と言えるだろう。
エルマが手紙を手にして旅をしているときに「四度目の夏が来る」と「エイミー」の歌詞で言っているためだ。

エルマの日記によると、2人が初めて会ったのは、雨の日のカフェテラスとのことだった。「エルマ」の歌詞によると、5月のこととなるだろう。
青年(以下、エイミーと表記)は、ずっと下を向き、鉛筆の尻で机を叩き、筆を走らせ、かと思ったら紙を睨む。テーブルの上の冷めたカプチーノから、随分と長い時間そこにいたのだろうとエルマは日記に綴る。
エイミーが何かを書いた紙をぐしゃぐしゃに丸め、屑入れに捨てる。その紙が縁から溢れ、更に風に乗せられてエルマの近くに転がってくる。それをエルマが拾い上げることでこの物語は始まるのだった。
エルマ作の「雨とカプチーノ」は、初めて出会った日を思い出しながら書かれた曲だろう。MVもその日を描写されたものとなる。


ヨルシカ - 雨とカプチーノ(Official Video)


この時、エイミーは学生とは考えにくい。バイトで生計を立てている。手紙で「何か仕事を見つけて、生活の合間にものを書いて」という記載があるからだ。バイトしている上でのこの言葉だからだ。出会ったこの時を23歳とする。そうすると、25歳で亡くなる。「八月、某、月明かり」で「人生27で死ねるならロックンロールは僕を救った」と歌っているが、27まで生きていることが考えにくいために出てきた歌詞だろうと思う。
この年齢設定だと、「詩書きとコーヒー」の「寿命を売るならあと2年」の2年後がちょうど27歳になる。


少し話が逸れたが、その後、2人は駅から離れた施設の公共広間でピアノを弾き合う。この施設がある場所、そして当時エイミーが住んでいた土地、2人が出会ったカフェテラスが恐らく小平だろう。小平駅から少し離れたところに富士見通りが存在する。「八月、某、月明かり」の歌詞に出てくる場所だ。

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↑赤線が引いてある道が富士見通り
小平市の青梅街道と東村山市富士見を結ぶ道。
青丸が公共施設で、近くに病院も存在する。


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他にも東伏見(西東京市)、関町(練馬区)が歌詞に出てくるが、それらは後ほど触れる。

音楽を辞める日

あくまで考察だが、病気が分かってからのエイミーは、少しずつ身辺整理を始める。その中のひとつとして、エルマの前から姿を消し、バイトも音楽も辞める。その後の約半年間は物語のどこにも描かれていない空白の時間となるが、残りの人生をどう過ごすか、考えをまとめていたのでは無いだろうか。この頃のエイミーは、小平市から練馬区関町に引っ越す。4月頃に書かれた詩や手紙に出てくる地名だ。関町はマンションくらいしかエピソードとして出てこないし、エルマの存在感がないように感じたため、この時期の引越しとなると私は考えた。小平から関町は離れているため、エルマにとっては街から姿を消したという捉え方になる。

概要はこんな感じだ。詳しく見ていこう。


8月頭、エイミーの手紙によると8日辺りだろうか。
この日、エイミーはバイトを辞める。些細な失敗で怒鳴られながら、「残りの寿命はたったのこれだけですと限定された時」のことを考えていた。そのとき既に彼は決めていたのだと言う。


「この夏(当時からすれば1年後)に全て終わらせる」


この出来事が、「八月、某、月明かり」にて描かれる。そして、3/14の手紙に書かれた「始まり」となるだろう。今後の人生について考える日としての始まり。
荷物もそのままに飛び出し、東伏見から小平まで無心に自転車を飛ばす。途中、胸の痛みを感じながら。小平での生活に区切りを付けようとしたのも、この時からではないだろうか。
何処か遠くへ行ければよかったと思ったエイミーは、半年後に本当に遠くへ行ってしまう。

数日後、エイミーは東伏見駅の前のロータリーで路上ライブをする。それはバイトを辞めた後のことで、惰性で曲を書いていたと手紙で述べる。
そういえば、彼のバイト先も東伏見であった。なぜ路上ライブの場所にバイト先からさほど遠くない場所を選んだのか。
音楽をやっている自分を知人に見られる覚悟をしてなければできないことだと思うが、彼にはその覚悟がありつつ、惰性でやっていることでもあるので、その辺をどうでもよくも思っていたように感じる。

立ち止まって数分間、彼の奏でる音楽を聞いていた中年の男性がいた。その男性の感想はたった一言、「つまんない歌だな。」だった。
そのときに彼が思ったこと、それは……

どうでもよかった。

この日の出来事について、5/17の手紙には

作品を笑われたならその場でそいつを殴り飛ばしてやれたら、それだけで良かったんだ。自尊感情の裏に隠れて流す涙なんてのは、慰めにもならない、本当の毒だ。

と綴る。6/26の手紙によると、以前はプライドがあって、作品を貶されれば怒りが湧いてきたという。しかし、どうでもよく感じてしまうということは、惰性でやっていることの表れであり、自分の音楽への考え方に多少なりとも疑問を感じていたと思う。

「あの日に見た夜紛いの夕暮れを、僕はまだ忘れられないままでいる。」から誕生した曲が「夜紛い」であり、この歌詞には、路上ライブの後の帰路での気持ちが描かれている。


そのときに彼は自分の音楽への考え方をやっと思い出したという。

昔は、「売れることこそがどうでもよかったんだ」という思いで詩を書いていた。言わば、評価や名声、お金や権力なんてどうでもよく、本当に自分の為だけにものを作ってきたヘンリーダーガーの考えだ。
しかしエイミーは次第に、「認められたい」という理由でものを作るようになっていた。「他の人が認められれば、妬みを原動力に創作を続ける」と述べる。この頃の彼は、オスカーワイルドの芸術至上主義の「人生が芸術を模倣する」という考えに同意しながら音楽をやっていたので、自分の音楽が「そのまま人生に紐付いてしまう」というオスカーが否定したものに近い状態が苦しかったのだと言う。

しかし5/29の手紙には、認められるためにやるという彼の音楽への在り方が「間違っていると解った」と書かれている。
ただただ認められたくて、芸術至上主義の考えに同意し、自分の人生と切り離した音楽を作ることに間違いを感じたのだろう。
その手紙が8/25に書かれた「だから僕は音楽を辞めた」の詩に、音楽を辞めた理由に繋がる。


ある夏の日、エルマがいつもの小平の公共施設へ行くと、エイミーがピアノを弾いていた。ただ、彼がエルマの姿に気付いたら辞めてしまう。「もう君の方が上手くなったからね」といい、エルマにピアノの前に座らせる。

既に音楽を辞めていたと考えても良いだろう。
「辞めたはずのピアノ 机を弾く癖が抜けない」という「だから僕は音楽を辞めた」の歌詞から、辞めたのに体が勝手に動いてしまう、そんな感覚でこの施設のピアノを弾いていたのかもしれない。
だから、エルマの姿に気づいてすぐ辞めてしまう。

その日、エイミーは2つの話をする。
・音楽はどこから来たのだろう?
・作品の価値を決める芸術の神様の話
の2つだ。
要約すると、「芸術の神様は、全ての音楽に何処までも公平に価値を付けてくれる。なら、僕たちの音楽は?人生を音楽に捧げたら、僕の人生の価値は何処にあるんだろう。」とエルマに零す。
その言葉を最後にエイミーは、エルマの前から姿を消した。エイミーはこの日を最後に小平を出る。それは夏の初めの出来事だった。

最後にエイミーがエルマにリクエストした曲は、鐘の意味を表すリストの「ラ・カンパネラ」だった。
エイミーは、リストをよく弾いていたという。
この少しに前に、エイミーが病院から出てくるのを見かけたエルマは、彼が病気を患っていて、もう長くないということを知っていた。

エイミーの旅立ち

3/14 ふとエルマを思い出し、手紙を書き始めた。
「一日は呆気ないほどに短いし、ただ生きるにも長い。」というエルマが言った言葉を思い出し、音楽で人生を終えるには時間が足りないと気付いたのだろう。夏で全てを終わらせるのだとしたら、もう半年も残っていない。

手紙では、「行く」を「往く」と表記する。「往く」は元々「往ぬ」という言葉であり、死ぬこと、時が過ぎることを意味していた。手紙では、二つの意味両方を込めているように思う。

エイミーがまた詩を書こうと思ったのは「エルマの詩を見たからだ」と8/31の手紙で言う。エルマの日記には、詩を見せたエイミーに「嫉妬するよ」と言われたことが書かれている。

エイミーは、この数日後に「藍二乗」という詩をかく。
そして4月にはマンションを引き払い、人生最後の旅と称し、スウェーデンへ向かう。幼少期を過ごしたストックホルムをはじめ、様々な地を歩きながら、音楽をやる、手紙を書く。そんな日々。
そして夏の終わりに、昨夏決めた通り人生を終えるのだった。

まず触れておきたいのは、エイミーの音楽の変化だ。
これまでのエイミーといえば、「人生が芸術を模倣する」という考えの元、とにかく認められたいという思いから音楽をやっていた。だから、人生と作品は切り離した位置にあった。それでも、どうしたって自分の人生に結びついてしまうのがエイミーの音楽であり、本人は苦しんでいたようだが……。
ただ、手紙を書き始めてからのエイミーは少し違う。


藍二乗

ただ、ただ君だけを描け

「藍二乗」の歌詞だ。
歌詞にはエルマという名前も登場するし、「君だけが僕の音楽なんだ」と意図的に自分の内面や人生を描いた詩となっている。
旅に出るというのは、気持ちを切り替えた意思表示に思える。その証拠に4/10の手紙にも「音楽がどうとか、売れないだとか、生きるのが苦しいだとか、本当にもういいんだ」と綴る。
この旅で見たものだけで詩を書く。そして随所に現れる想い出の数々。エイミーはエルマを想い出にし、詩として描くことで自分のものにしようとした。
エルマは、エイミーの音楽を模倣している。エイミーはきっと、それに気付いていた。その上で「君だけが僕の音楽なんだ」と言ったのは、エルマの人生は、エイミーの音楽という芸術を模倣したもの、すなわち、エイミー自身が支持している芸術至上主義の考えそのものだったからだろう。
だから、エルマの詩を見て、詩を書くその手、ピアノを弾くその手に対して「君の指先には神様がいる」と思ったし、そんな彼女を想い出として形に残そうとした。それは今まで苦しんできた「人生に紐付いた音楽」を自分の音楽として、自分の人生そのものとして扱うことになる。
この部分に気持ちの変化が伺える。
今までのエイミーには考えられなかった音楽だろう。


ヨルシカ - 藍二乗 (Music Video)

後に、どんなに想い出として残そうとしても、エルマの人生はエルマのものであることに、「だから僕は音楽を辞めた」を書きながら気付く訳だが……。


旅の途中で、人生の最後を決めた場面が登場する。
「五月は花緑青の窓辺から」
人生も例外ではなく「だらだらと惰性で続く物語は美しくない」とするエイミーは自ら命を絶つのだが、その時に使われたのが花緑青だった。別名エメラルドグリーン。有毒の人工染料である花緑青を飲んでそのまま海に落ちた。

5月の時点で最後の瞬間を決めていたことがこの歌詞と5/17の手紙で伺える。

後にエルマの日記で明らかになるが、エイミーはこの旅で「負け犬にアンコールはいらない」に収録された楽曲も合わせて製作している。これらの詩は、エルマへ書かれたものではなく、自分宛に書いたものではないか。だからエルマへの手紙として箱には入れなかった。

8/31
エイミーがこの日付で遺した手紙、詩は3枚ある。そして、日付こそ書かれていないが「ノーチラス」もこの日となるだろう。
それらはどの順で書かれたものなのか。
この頃には、万年筆のインクがほとんどない状態となり、「インクが切れた」と書かれた手紙もある。そのためインクの残量から、書いた順番を探ることができる。

エルマ→「無題」の「芸術狂いの醜い化け物。」まで→涙が滲んでいる8/31と書かれた手紙→ノーチラスのタイトル→「無題」の「そうだ、結局僕には音楽しか……」

という順番になる。同じ8/31でも、箱に入っている位置が全然違うのもこの順番のせいだ。「無題」だけ1番上にあり、あとは1番下。本来なら、涙が滲んだ手紙で終わりのつもりだった。だから、ノーチラスの歌詞はギターケースの中へ。そのギターケースに一緒に入れるつもりだった「無題」は最後の一文を書いた後に、やはりエルマに見て欲しいと思い、急遽箱に入れ、1番上になってしまった。

一通り書き終えた後、花緑青を飲み、藍色の海へ沈んでいく。エルマは同じ海で飛び込んだ時に、「日光が月明かりのように海中へと挿して、綺麗」と日記に記す。
エイミーはエルマの詩に月明かりを見たと言っていた。
彼は生前、ネガティブな感情が働いた時にはいつも、月明かりに照らされていた。朝と夜だったら、どちらかというと夜の方がネガティブな要素が強いと思う。そして朝に見る月の光は、そこまで強いものでは無い。夜だからこそ無謬に輝いて見えるもの。
エイミーが弱さに沈んでいる時に助けられた存在、辞めたはずの音楽をまた始めたくなるくらいに救ってくれた存在。それがエルマであって、夜に光る月明かりのようだった。

エイミーは最後の日、月明かりを海の底から見たのだろうか……

エルマの旅

エイミーの手紙を受け取ったのが秋の終わり。それから4か月くらい経った頃、エルマもまたスウェーデンへ旅立つ。エイミーの部屋から盗んできた手帳と、彼を真似するように使い始めた万年筆を持って。

エルマが日記をつけるのには意味があった。
一つは、エイミーの模倣だ。エイミーがかつて同じ国を旅したときにしてたことと同じ道を辿る。松尾芭蕉に憧れる与謝蕪村のように。
もう一つは、エイミーとの思い出が少しずつ頭の中から漏れ出していくのを恐れたため。少しでも漏れ出さないように入口に栓をするという意味で日記をつけている。そのため、過去の思い出を振り返る内容を書いたページには封書の口を閉めたことを強調する「〆」と必ず書かれている。

旅の途中でエルマは同じ老婆に3度会う。意図的ではなく、偶然に。その老婆が表す意味とはなんだろうか。
答えは書かれていないため憶測となるが、エイミーの祖母に当たる人物ではないだろうか。彼は幼少期をスウェーデンで過ごしているため、祖母がここにいるのはおかしくない。そう仮定すると、初めて出会ったときに老婆が見せてくれた写真に写る人物は、エイミーの祖父、父親とその兄弟(エイミーにとっては叔父、叔母)となる。老婆がエルマを知っているかというと、恐らく知らないと思われるが、何かの勘が働いてエイミーにとって大切な存在であることに気付いたのだろう。2度目に会ったのは、教会の墓地だった。その中のひとつに老婆が手を合わせたときに、エルマは写真に写っていた老齢の男性に手を合わせていると感じたようだが、それがエイミーの墓だったのかもしれない。最後に会ったのは、日本への帰り道の港だった。老婆は、エルマの後ろを指さして笑っていたが、そこにはきっとエイミーがいた。彼の魂は、エルマとともに日本へ帰る。

エルマの日記が急展開するのは8/27だった。この日、エルマの中で人生を終えたくなるような衝動に駆られたのだろう。
彼女は、エイミーの影を見た。そのまま彼に導かれるように歩みを勧め、海に出る。そこにある桟橋から海に飛び込んだのだ。
しかし、エイミーがエルマを救う。

彼が使っていた万年筆を海の底で見つけたからだ。

その後、岩陰で彼の鞄を見つけた。その中にはエイミーがいつも使っていた手帳があった。内容はエルマへの手紙と変わらないものだったが、「負け犬にアンコールはいらない」の楽曲と思われる詩が書かれていたのと、「エルマ」というタイトルの詩がそこにはあった。

エルマに収録された曲のほとんどが9月に書かれている。そう、エルマはエイミーの遺品を見つけたことをきっかけに、8月の何も書けない状態から一転、彼との思い出や詩がたくさん頭に浮かぶようになった。
特に9/3「雨とカプチーノ」、9/5「憂一乗」、9/6「心に穴が空いた」は彼との思い出、彼が使った言葉をふんだんに盛り込んだ楽曲となる。

9月7日にも例の海へ行く。
散策する中で、先日エルマが飛んだ桟橋とは違う桟橋を見つける。そこにはエイミーのアコースティックギターがあった。そのギターケースの中から出てきたのが「ノーチラス」の歌詞だ。
ノーチラスは、エルマに収録された曲だが、詩を書いたのはエイミーとなる。

物語のその後

エルマは最後の日記を書いたあと、日本に帰国する。自分だけ歳をとる選択をした。
エイミーに言われた言葉に「いつか君は大きくなる。とても良い作品を書く、音楽家になれる。」があり、それが背中を押す形となる。

エルマは、9/12の日記に「貴方が残した詩で音楽を書きたい。」と綴った。それを実現させたのが、「ノーチラス」だった。エイミーが書いた「ノーチラス」は詩のみで、音がなかったから。


ここからは私の考えとなるが、ヨルシカはエルマの音楽を具現化した存在と思える。
「だから僕は音楽を辞めた」に収録された楽曲のMVに出てくる人物は誰も歌詞を口ずさむことがなかった。しかし、「雨とカプチーノ」「ノーチラス」では、MVの中のエルマが歌詞に合わせて歌っているのだ。suisの歌声がエルマそのもののように……

更に、エイミーと思われる男性の顔はいつも何かに塗りつぶされていた。エルマの記憶の中から、彼の顔が少しずつ消えていて思い出せなくなっていることの表れではないだろうか。


ヨルシカ - ノーチラス (OFFICIAL VIDEO)
ノーチラスは、エイミーが歌詞を書いているシーンが映し出されているため、彼も口ずさむ描写がある。

エルマは帰国後、エイミーの音楽や思想を引き継ぎ、世に送り出す役目を担う。今まで、エイミーの模倣ばかりしてきたエルマが初めて何かをしたい衝動に駆られたのだった。「夏草が邪魔をする」は、2人が共に過ごした時に作られた楽曲かもしれない。エイミー作「ノーチラス」に「夏草が邪魔をする」、エルマ作「夕凪、某、花惑い」に花火、幽霊、「神様のダンス」には「君のいない夏に咲いた」という言葉が登場する。
「負け犬にアンコールはいらない」は、エイミーの鞄の中から出てきた手帳に記された詩である。これらは、エルマも知らないものだったため、エイミーがエルマと会わなくなった頃に書かれたと考えられる。「ヒッチコック」は、エイミーの心情を表しているかのようだ。
さらに、エイミーから受け取った手紙や詩を形に残したのが「だから僕は音楽を辞めた」であり、「私の書いたものくらい、私で終わらせたい。」という想いから、「エルマ」というアルバムを最後に出す。4枚を通してエルマは、月明かりを探す。
感情表現が豊かすぎるsuisの歌声は、エルマだからこそのものだ。


私は、ヨルシカが芸術そのもののように感じたのだが、エルマという違う人物の存在が2人の中にあったから、そう思わせていたのかもしれない。

あとがき

発売から1年近く経っているアルバムについての考察ですので、既に同じことを考えて文字に残している方がいるかもしれない。
ただ、私はこの記事を書き終えるまで、他の方の考察を読めずにここまで来たので、これはあくまで私の考えという記事になります。

書きながら、過去の作品とこの2枚のアルバムの繋がりを感じる要素がたくさん出てきた。しかしそれをここに詳しく書いてしまうと、恐ろしい文量になってしまうので、盗作を聴いたあと、改めて記事にしてみたいなと思った。

その「盗作」だが、トレーラー映像を見た時に、あぁ、そこにはもうエルマはいないのか……と心無しか寂しさを感じた。でも、何かしら繋がりがあるような気もするので、その繋がりがエイミーとエルマの新しい発見になるかもしれないという期待感もある。

8/31のあとで、エイミーの手紙を拾い、日本に送ったその本人が次の主人公かもしれないし……
音楽泥棒が関わっていた少年は幼き日のエイミーで特典の「月光ソナタ」はエイミーが弾いたものかもしれない。


全ての作品が何かしらの形で繋がりをもっていること、そしてアルバムひとつひとつに物語が存在していること。
ヨルシカの音楽に出会ってから、音楽にできることは無限大なのだと感じた。だから音楽は面白い。

ヨルシカ初となる配信ライブ「前世」のライブレポと考察も記事にしました。合わせてどうぞ。
usg-0v0.hatenablog.com